2007年8月19日日曜日

この夏No.1の風景──余呉湖

2007.08.18
【滋賀県】

 余呉(よご)湖(Map)


 猛暑の中に涼を求められるところなどそうそう無いわけで、どうしたものかと考えました。
 結果本日は、余呉湖を目指しました。
 そのこころは「遠いところまで電車で涼んで、歩く距離を短くしよう」という作戦です。

 琵琶湖北端にある賤ヶ岳(しずがたけ)をはさんだ反対側にある、周囲6.5km程度の小さな湖で、福井県との県境はもう目の前です。
 駅を出ても何もないだろうことは想像してましたが、一面に広がる田んぼの風景はちょっと予想外でした。
 周囲を山に囲まれる場所柄で、詳細な地図を見てなかったので「坂道が楽だといいなあ」とすら思っていましたから。
 「いやぁー、美しい!」これを美しいと感じなくて、何をそう表現するのか? という風景でした。
 田んぼと、湖と、山しかない風景です。日差しを避ける木陰もありません。日差しは強いのですが32度程度(大阪は37度とか)で、山からの風があるので倒れるほどではありません。
 そんなことよりも重要なのは、チョロチョロと聞こえる水路からの水音(水の恵み)と、アッチッチの太陽の恵みのおかげで稲穂が育っているこの状況が、何よりも喜ばしいと思えることにあります。
 自分が育てたわけでもなく、世話をしたわけでもないのですが、水と太陽の恵みでスクスクと育っていてくれることが、人ごと(?)ながらとても喜ばしいことに感じられました。
 そんな実りが無ければ、収穫や、祭りという人間本意(?)の行事もあり得ないわけですから、それがどれだけ大切であるかを再確認させてくれたと同時に、それがどれほど人の心を和ませてくれるものか、思い知らされた気がしました。
 農耕民族の血が流れる者の潜在的な記憶を呼び起こさせるとでも言うのか(農耕民族であると自覚せざるを得ないと言うのか)、この光景を美しいと感じてしまう自分は、そのアイデンティティ(源流)を忘れてはいけないと言うか、すり込まれているものを捨てたら何が残るのだろうか、と思わされた気がしました。


 ちょうど18日夜中にこちらでは『冬冬(トントン)の夏休み』という台湾の映画(ホウ・シャオシェン監督)を放映するそうで、そんなイメージを想起させてくれる風景でもありました(これを書いてて何だか乗ってしまい、結局見てしまいました。終了が4時30分……)。
 ──冬冬とは小学生の男の子の名前で、妹(この子が可愛いの!)とひと夏を田舎のおじいちゃんの家で過ごす日々を描いた作品。

 のんびりとした風景の中で突然爆竹の音が響いて驚かされましたが、鳥害予防用の道具のようです。
 それでカラスやサギなどの鳥たちが飛び去っていきますから、農家にすれば原始的と言われようが有効な作物保護対策な訳で、ネットを張ったりする予防策に比べれば、鳥を傷つけずに作物を守る方法としては理にかなっていると思われます(彼らは田んぼの害虫など食べてくれますし)。
 今でこそおだやかな景色を呈していますが、洪水に悩まされ琵琶湖までの流水路(トンネル)など何本もの水路が整備されたそうで、やはり人手が加わらなければこのような景色にはならないようです。だから「人里」なんでしょうね。

 特急は通過してゆき(停車する普通電車は1時間に2本程度なので、特急の通過本数の方が多いのでは?)、この数キロ先の山の麓には高速道路も通っています。
 ──右の写真は雲を撮ろうとしたところに特急が飛び込んできたので、視線が列車に向いてしまいましたがそれが良かったようです。

 こういった場所を慈しむことを大切にしたいと思いますが、普段の旅行で新幹線や高速道路を使う身としては「見きれないよ!」というのが正直なところです。
 究極の贅沢(!)として歩いて回るという選択肢も考えられますが、それは無理だろうと思われるので今までのスタンスでいこうと思います。
 それをどこまで「スロー」(贅沢)にできるか、というところでしょうか。


 この付近は「賤ヶ岳古戦場」に含まれるそうで、本能寺で信長が亡くなった後、織田勢力同士の争いで秀吉と柴田勝家の戦いが繰りひろげられた地域のようです(調べました)。何だかNHK「その時歴史が動いた」の松平アナウンサーが現れそうな場所です。
 今でこそ「こんな田舎で戦なんて」と思いますが、京の都に近い土地柄ですから(現在の新快速で1時間30分程度)目の上のたんこぶは叩かねばならない、戦略上重要な戦いだったことと思われます。
 当時とすれば、まずは近畿・東海・北陸、それに西国(中国、四国、九州)、最後の仕上げに関東・東北という重みだったでしょうから、その時代の方が重要視されていた地域だったと思われますが、その分度重なる戦に踏み荒らされて迷惑を被った、とも言えるのかも知れません。

 山の方から間断なく聞こえる笛の音のような音は何なのか、駅員さんに聞こうと思ってたのですが聞けずに電車に飛び乗ってしまいました。
 日本最古の羽衣伝説が伝わるそうなので、関連の観光サービスかも知れませんが、すれ違った観光客は2組程度でした。
 帰って調べたのですが、音の正体がどうも見つかりません。聞いときゃよかったと、後悔……


 長浜(Map)

 秀吉に縁の深い場所(長浜城は秀吉が最初に築いた城)ですから、何にでも「太閤」などの名称が付けられています。
 その中の「聚楽第」なども秀吉縁なのでしょうが、どうも関東者(だけかしら?)は、モンローに扮した外人女性の「ジュラクよー」のTVCMが思い浮かんでしまい(すりこみですね)、いつも申し訳ないと思ってしまいます……
 下は、秀吉井戸といわれる場所から琵琶湖を望んだものです。

 旧長浜駅舎は日本最古の鉄道駅舎として保存されています。
 時間が無かったので、長浜ではそんな程度しか見られませんでした、またの機会ということに。


 今日の反省。
 いくら電車で涼もうといっても(確かに涼しかった)、ちょっと遠すぎました──念願の琵琶湖一周はできたのですが……
 長浜からの帰りは1時間半で、家に着いたらもう9時。タップリ遊んだってこと?
 次に訪れたい近江八幡駅からは、そんな時間でも大勢観光客が乗ってきました。行く時には、ちと気合いを入れないといけませんね。

2007年6月23日土曜日

湖畔にも都が──石山寺、膳所

2007.06.23
【滋賀県】

 石山寺(Map)


 先週同様、雨が降ってもめげないように、雨が似合う花を探しているうちに、花の便りに誘われて滋賀県大津市まで引き寄せられてしまいました。
 とは言え、京都から15分程度で行けるのですが。
 先週に続き夏至翌日の本日も、どピーカンのアッチッチで、陽に当たりすぎて帰りにはちとバテ気味(熱中症の手前?)でした。
 しかし、花の便りって解釈が難しいですね。
 先週の三室戸寺が良かったので、「見頃」の表記から自分勝手な理想の絵を想像していました。
 花しょうぶは、見頃の時季を伸ばすために意図的に少しずつ開花をずらしているように見受けられ、まだつぼみの株もあれば、今日開いたと思われる花もあるのですが、何とも中途半端な印象です。
 アジサイも植えられてからあまり歴史がないように見え、まだインパクトを与えられる存在にはなっていませんでした(数では計れないという教訓です)。
 どうもこの寺は、四季を通しての「花の寺」を目指しているようで、牡丹園などまだ日の浅い造園部分が目につきました。
 でも、もみじなどの若葉はまぶしく、紅葉する木々は多くあるので、そのすき間を埋める花が整備されれば季節を通した名所になると思われます。
 お寺は由緒あるようで(右上の写真など目にしたことあるのでは?)、紫式部が「源氏物語」を執筆したと伝わる部屋(本堂の一部)があったり、「月見亭」という展望舞台には明治以降の天皇が月見に訪れたとのこと(展望は開けてません。月が見えればいいわけですから)。
 西国巡礼13番札所とのことで、三室戸寺とは一応関係があるようです。
 東寺 真言宗の宗派とあります。東寺は京都で行ってみたいお寺の一つで、もうじき行けることを楽しみにしています。




 瀬田の唐橋(Map)


 都を守る上での要所であったことから「唐橋を制する者は天下を制す」と言われたそうです。
 看板には、大友皇子とか出てくるのでかなり昔のことのようですが、どうもその説明にピンと来なかったので調べてみました。その頃の都は、近江宮(おうみのみや)と言って7世紀後半の天智天皇がこの地に開いたのだそうです。うーん、聞いたことあるような、無いような……

 琵琶湖レガッタの会場が近いこともあり、この付近はボートやカヤックの練習場になっています。「がんばっていきまっしょい」(TV)に出てました。
 堤防を自転車でダッシュしてきたジャージ姿の若い女性が、急停車してビデオカメラを構えるのには驚きました。きっと、ボート部のマネージャーなのでしょう。そんな、ビデオを手にした若い女性が多いのも、場所柄という印象です。ちなみに、女子部は見かけませんでした……

 ここは琵琶湖の尻尾と勝手に呼んでいる南の端で、この瀬田川は京都で宇治川になります。
 琵琶湖の水はどこから流れ出ているのかズッと気になっていたのですが、ようやっとスッキリしました。
 ──次は、京都に流れている琵琶湖疏水はどこから引かれているのか? を探さねば……


 膳所城跡(Map)


 膳所と書いて「ぜぜ」と読みます。
 ワープロで変換してくれることに驚きましたが、これ読めます? 本当、こちらにはとても読めないような地名が数多くあります。歴史の長さというのか、宮中などごく狭い世界で使われていた言葉というのか、漢字の読み方のいい加減さというのか、とても覚えられない地名がたくさんあります。それを覚えておくと知識の幅が広がるかも? と、なるべく心がけるようにしていますが、なかなか……
 先ほどの近江宮の時代でしょうか、天皇の食事の調理や試食をつかさどった役所があったことに由来するそうです。
 ここに都があったことと、お膳の役所(食材管理役)というくらいの説明を聞かないとイメージすらわきません。それでも、読めないと思いますが……
 ここ膳所城は湖畔に面しており、実にいい立地だと思っていたのですが、湖からの波の影響で何度も崩落〜修復が繰り返され、そのおかげで財政は苦しかったとのこと。そんなもん、ちゃんと設計せい! とも思うのですが、それは上からの圧力というよりも、そのたたずまいが人々から求められていたから、などと思いたい気分になっていました。
 写真は公園脇の入り江にあるアシの若い葉です。
 琵琶湖での目標として、北部の湖岸に残る葦原地帯とその付近の集落を歩いてみたいと考えており、ここでそんな気持ちに弾みがついた思いです。


 近江大橋(Map)


 近江大橋の西岸に植えられた木々ですが、ほんの一角だけなのが印象的でした。
 今でも有料道路だそうです。建設されたのが1974年だとすればいた仕方ない気もします。現在においては日常に必要な生活道路になっていると思われるのですが、平成24年まで有料だそうです。
 琵琶湖は大きいので、そのうち車を借りて一周しようと思っているのですが、どこの都市部でも渋滞を見かけるのでちょっと躊躇します(橋が有料のせいではないと思われますが、観光にも結構人が出ていると思われます)。
 東京以外の鉄道網が整備されていない地方都市は、もう完全に車社会ですから中核都市では逃げ場のない渋滞が日常となっています。
 東京では空気の汚れを(これ強く感じているので、またの機会に書きます)、旅行先などの地方都市部では渋滞緩和の道路整備を何とかしないと、それだけでエネルギーを余計に消費してしまうと思います。
 資本主義とは、大小様々な中心地への集中を避けられない宿命なのだろうか?
 そこを何とか工夫しないと「浪費型社会」(お金を含めて)は改善されないと思うし、東京と地方の共存は不可能と思えるのですが、いかがでしょうか?


 琵琶湖周遊船桟橋(Map)


 ここは、大津プリンスホテルの前に設置された桟橋で、先日行った竹生島や琵琶湖周遊の観光船が出ています。
 ──38階建てのホテルです。最上階まで行き展望台が無いので降りてきました。そこにはホテルらしく、ラウンジとレストランしか無く、出迎えてくれても「客じゃねえな」といちべつされました。景色がいいからビールくらい飲んでもいいかとも思いましたが、ウエイターの目にサービス精神が感じられないのでやめました……(とても冷たい目だったのよ!)
 とても外人が多く、京都〜琵琶湖ツアーがセットになっているのだろうか、という印象です。
 遠くから見ると、何であんなに高い建物を作っちゃったかと思うのですが、懐に入ってみると自治体の尽力もあって一帯がきちんと整備されていて、いいリゾート地の雰囲気になっていました。

 やはり釣りに訪れる人は多く、腰まで水に入って竿を投げている人もいました。湖の水は冷たいだろうに……
 近くの港に「外来魚リリース禁止」の旗が立ってましたが、ブラックバスなどの問題は結構深刻なのだと思われます。でも、外来魚だけ駆逐するって大変なことだと思うのですが、どうしているのだろうか? 湖という閉鎖空間では、そこに棲む種にとって闖入(ちんにゅう)者の存在は死活問題になると思われます。
 昨日の新聞だったか、ウォーターバイクで湖水をかくはんするとアオコが発生しにくいなどの記事が出ていました。確かにそうなのかも知れませんが、もっと根本的な対策を考えるべきではないでしょうか?

2007年5月10日木曜日

湖西線、竹生島(琵琶湖)
 ──途中下車のつもりが終着駅に

2007.05.04

湖西線(Map)


 関東にいた頃、この湖西線という響きにとても旅情をそそられていて、いつか乗ってみたいと思っていました。
 新幹線で通過する同じ琵琶湖岸の米原などとは別世界の、それもはるか彼方(時間も空間も)の存在という勝手なイメージを抱いていました。
 字面そのままの、琵琶湖の西岸を走る山科から近江塩津までの路線なんですけどね。
 琵琶湖大橋付近の堅田までは宅地化が進んでいますが、それより北側には、ちょうど田植えの準備で水がはられた田んぼの並ぶ田園風景が広がります。
 西岸は山が迫っているので平坦地は広くないのですが、京都から40分程度で出会えるとてものんびりできる風景です。


 さすがにデッカイなあ。場所によっちゃ、瀬戸内海より広いんじゃないの?(言ってみたかったんです!)
 地図で比べると、淡路島がスッポリ入ってまだあまるくらいの広さです。
 海じゃないので、湖岸に堤防がないところがいいですね。自然のままの姿が残っている水辺って危ない面もありますが、コンクリが目に入らないのでより開放感があり、とても好きな絵です。
 旅行から戻り、残った休みの琵琶湖行きだけ決めていて、計画の無いぶらり散歩となりました。
 ここは、近江今津。電車が切り離されることを理由に途中下車しました。
 古い家並みも残っていて、とても静かで落ち着いた町です。浜通りを歩いていると、家々の間から琵琶湖の水面がチラチラと見え隠れする風情が実に楽しく、湖に抜ける路地はまだかと家並みの切れ目を探してしまいます。
 人通りは少ないのに、和菓子やだったか漬物やだったかには、人が入っていて驚きました(車で来ているのでしょう、幹線道路は混んでいましたから)。
 店先でパタパタとうなぎを焼いてる店があって、デモンストレーションだったとしても最高の雰囲気を出していました(失礼、本当のお店です)。
 湖に浮かぶ島に渡る船がここから出ており、別に予定決めてないしと思わず乗り込んでしまいました。
 途中下車のつもりが、その竹生島(ちくぶしま)が本日の最終目的地となりました。


竹生島(ちくぶしま)(Map)


 古くから信仰の対象となってきた島だそうで、お寺と神社があります。
 知らなかったのですが、ここの弁天様は、江ノ島神社、厳島神社(宮島)と並ぶ日本三大弁才天のひとつなのだそうです。
 これでわたしは、三ヶ所とも行ったことになるのですが、思いがけずちょっとうれしかったりします……(それが信者獲得のセオリーなのでしょう)

 724年建立といいますから、平安京(京都)よりも古い歴史を持っています。
 宝巌寺の舟廊下(写真上)は、秀吉が朝鮮出兵時に使用した日本丸という船の廃材で作られたそうです。
 この島への航路は4本くらいあり、四方から結構な人が来ているのに驚きました。お寺と神社以外には何も無い島ですから、その知名度は相当なものかと思われます。

 途中下車のつもりが終着駅になってしまったので、次回はその先を見て、湖を一周して東側から帰って来ます。