2007.09.23
【滋賀県】
沖島(Map)
近江八幡沖の琵琶湖に浮かぶ島で、湖の島に人が暮らす例は世界的にも珍しいのだそうです。確かに日本でも他に思い浮かびませんし……
これは島にある小学校で、18年度の資料では児童数7名だそうです。それにしちゃ立派な校舎ですが、島民の寄付で建設されたとのことです。
外壁には装飾もされていてログハウス風のしゃれた印象を受けます(新しいと思います)。
休日で島に帰っている家族も多かったのかも知れませんが、見かけた子どもの数はとてもそんなものではなく、若い家族を呼び戻そうとする奨励策などがあるのかも知れません。
これは、港の入り口の堤防に立てられた吹き流しです。
子どもの名前が書き込まれていて、鯉のぼりと同じく子どもの成長への祈りが込められているようです。
島には他にも同様の吹き流しが立てられており、島民の思いを知ることができます。
交通手段は30人乗り程度の連絡船しかなく、島には車が走れるような道路もありません。そんな島にも、デッカイ(100人以上乗れるであろう)琵琶湖周遊クルーズ船が立ち寄ったりします(プリンスホテル系が入り、琵琶湖観光を少し高級なリゾート化しているようです。路線バスにも懐かしい西武系のラインが入っていたりします)。
港で手作りの物産品を並べているおばちゃんたちがいます。最初はそんなに売れる程人が来るのか? と思いましたが、大きな観光船の客を待っていたようです。
数多く立てられた吹き流しは、子どものころの島の思い出を少しでも多く作ってあげることで、将来ひとりでも多くの若者たちが島に戻ってきてもらいたいとの願いなのだと思います(瀬戸内の北木島でも同様の印象を受けました)。
島とはいえここは湖に浮かんでいるので、大きな水害などの心配はいらないのかも知れませんが、水辺の施設に対する用心の無さには「水域をなめている」としか思えない場所が目につきました。
ここは民宿の専用桟橋のようなのですが、こんないい加減な作りでいいのだろうか? と思ったものの(海じゃないんだし)「壊れたらまた直せばいい」というような手作り感覚が受けたりするのかも、とも……
そんな田舎感覚を売りにした方が、いまどきは人気がでるのかも知れません。
五個荘(ごかしょう)(Map)
ちょうど地区をあげたイベントをやっていて交通整理も出ており、その人出に驚きました。
時代絵巻パレードをやっていたようで、様々な時代の扮装をした人たちが古い家並みをバックにして写真モデルをせがまれていました。
町並みを流れる水路を盆にした(?)生け花が飾られています。この水路は以前、家々の生活用水として外壁の内側に引き込まれ利用されていたものなので(今でもその水場は見ることができます)、そこに花を生けるということは暮らしの中から生まれた表現として受け止めることが出来るので、その意図にはとても理解できるものがあります。
ここも探している場所に非常に近い文化を持っているのですが「ちょっと違いうなぁ」の印象です。
テレビで見たのは琵琶湖周辺じゃなかったのかなぁ? と自信を失いつつありますが、もう少し探してみます…… そして、見つけたら紹介しますので、お楽しみに。
安土城跡(Map)
信長が築城した「キンキラキン」のイメージがある安土城跡です。
勝手なイメージなのですが、そんな信長が城を築いたのですから結構高い山なのかと思いきや、周辺の山に比べると小高い丘程度の山なので少し戸惑いました。
この場所に思い入れがあったのか、はたまた天下統一の後には城下町の整備が重要と考えたのか、街道と水路の利便性はいいので商業地には適していたかも知れませんが、敵から身を守るために適した場所だったのだろうか? という印象を受けました。
安土山から見る琵琶湖の手前には、後の時代に秀吉の甥が築城した八幡山(前日の八幡堀からロープウエーで昇る山)がそびえており、見晴らしを遮っていたと思われるのですが……
でも、昔は安土山裾野に広がる西の湖周辺も葦原で、琵琶湖の一部として見られていたのかも知れません。
安土城の天守を模した建物の考古博物館です。
入りませんでしたが、この「兜をかぶったような異形の天守閣」を外から眺めるだけで、信長と接することができたような気持ちになれました。
教会のようにも見える姿に、この建物の設計者の信長への思いが込められているようにも思えます。
特に信長に関心を持つ者ではないので、そんな感想しか持ち得ないのですが、山を背負った田んぼの中に建てられているそのロケーションがとても印象に残っています。
これを作った人たちの信長への気持ちと、安土という土地への愛着が感じられた気がしました。
西の湖(Map)
琵琶湖の西岸(湖西線が通る側)は、比叡山をはじめとする急峻な山が湖岸近くまで迫っており、平坦な土地はあまりないのですが、東側には以前は葦原の湿地帯であった場所を干拓したと思われる水田地帯が広がっていて、なかなか壮観な景色です。
そんな干拓事業から生き残ったのか、取り残されたのか、まとまった水域と周囲の湿地帯が残されているのが西の湖一帯です。
ここにひとつの憧れであった「葦原が広がる湿地帯」があったのですが、現地に立ってみれば漁師のような支度がなければその中を歩き回ることはできないんですよね。こちらのイメージ作りが甘すぎた事を反省しています。
やはり少し通って、季節感をつかまないとイメージが出来てこない場所なのだと思いました(以前、琵琶湖の烏丸半島がハスの花の名所と聞きましたが、行けば写真を撮れるものでもないと思い、来年以降のために少し研究してからとの思いと同じ印象です)。
関東ではよく行った鎌倉くらい通って、季節感のイメージが出来るくらいにならないと、どこを歩いたらいいかを想像できないのだと思います。
でもやっぱり「葦原の絵」を撮ってみたいなぁー。
湿地のとなりには水田が広がっており、刈り取りが終わった田を焼いていたりします。
こういう絵に見入ってしまう都会っ子って、まさしくStrangerなのだと思います……
2007年9月23日日曜日
人気の秘密とは?──近江八幡
2007.09.22
【滋賀県】
近江八幡(Map)
古い町並みと運河と水郷の里ではありましたが、憧れていた町はココではありませんでした……(全否定するものではありません。)
本当にのんびりしている町で、中心から外れたところでバスを降り歩き始めてみると人通りもまばらで「この閑散とした空気好き!」(それでも、ちゃんと角ごとに案内が設置されている)。この調子ならいい雰囲気の町かも!? だなんて甘いよね。有閑おばちゃんたちが放っておく訳がないもの……
メインの八幡堀を歩いていると、脇の食事処から湧いて出てきて仰天したのですが「ここずっと歩いてくと、いいとこあるんや」に、男衆が「じゃ歩こうか?」には「暑いし、歩かれへん」。ふぅー助かった、という所です。
人が集まるのは、人気スポットの八幡堀から半径200m程度の場所に集中しているようです。そんな歩く距離の短かさが、おばさん受けする決め手なのかも知れません。そして、平坦な場所であるということも重要な条件のひとつでしょう。
うまいもん食べて、船乗って、ロープーウエイ乗って(山の上は階段ですからよっぽどの物好き向けのオプション)、「歩かずにすむのが一番や!」って場所であります。
こっちにしてみればちょっと物足りない印象なのですが、おばちゃんたちにはちょうどいい腹ごなし(ドライブの距離─大阪・名古屋から)だったりするのかも知れません。
上下2枚の写真がメインスポット(同じ場所)で、周囲の景観にも気を配り、船の上に橋を渡してある場所です。
少し前に、これを河川管理法だったかに違反しているので撤去するとか何とか、という話題があり「無くなる前に行かなくちゃ」と思ったものですが「これが無くなったら客来ないよ!」の実感に「あれも宣伝だったのか?」と一瞬でも踊らされた自分がちょっと情けない気分にさせられるような場所でもあります。
しかしここが、テレビ・映画のロケ地のメッカであることを盛んにアピールしてますし、それも集客力になっているように思えます。
下は、白雲館という学校として設立された建物で、現在は観光案内所になっています。
これを建てた「ヴォリーズ」というアメリカ人の名前を、この町から切り離すことはできないようです。
英語教師・建築家・キリスト教の宣教師・慈善活動家・実業家という顔を持つ(1964年没)彼の足跡を残すために、現在の町並が残されていると言えるかも知れないほど、ここでは大切にされている人です(学校にも、バス停名にも残されていますし、まだまだあるのかも知れません)。
その名を知らなくても「メンソレータム」を知らない日本人はいないのではないか? と思える(関東だけか?)薬の輸入・製造を手がけた「近江兄弟社(近江と世界はみな兄弟の意味とのこと──宣教師らしい命名)」の設立者だそうです。
一度倒産したらしくそれ以来その商標名も使えなくなり、現在は「メンターム」という商品名での販売をしているそうです。
昔は、看護婦姿の少女の絵がとても可愛かったのですが、現在使われている少年の絵もセンスとしてはとても好感が持てると思います。──ガキのころ毎日のようにお世話になった印象があって、「メンソレータム」には信仰心のようなすり込みがあるようで、悪いことなど言えない気分があります。
この地域では「近江商人のまち」という自負をあちこちで目に、耳にします。「信用第一」「地域貢献」の精神が今でも受け継がれていると、言わんとしているようです。中でも「西川のムアツふとん」の創業地とされる地には、その立派な屋敷が残されています。
本当に申し訳ないのですが、最近古い屋敷を見る機会が多く少々食傷気味なので中はのぞきませんでした。
でも先ほどの船に橋を渡したスポットで食べたカレーライス(近江牛使用に引かれ)に、近江商人の片りんを感じました。
肉は「近江牛」、米は「近江米」、ルーの中には「丁字麩(ちょうじふ)」(名産だそうで、牛肉の味が染みこんでて美味しい。でも、カレーにお麩は初めてかも)、付け合わせに「赤コンニャク」(信長ゆかりだそうです)など、「近江ブランド」が確立されていて、それがちゃんと商品になっているところに、商売人の気合いを感じました。とても美味しかったです。
胸をはって人に勧められるようにと、地道な商品開発から生まれたであろう地元名産品の生産者、販売者の心意気というものが「近江商人の精神」の表れなんだろうと思いました。
地元にプライドを持った人たちが暮らす町って魅力を感じます。
その晩いい気になって近江牛の鉄板焼きを食しました。
美味しゅうございましたが「ここが近江牛の美味なところや!」という地元産の特別さは判別出来ませんでした(目隠しして分かる人いるのだろうか?)。
値段だけは確かに「地元産の特別さ(?)」でしょうか、とても高こうございました……
「あっ、ここきっと『憑神』(つきがみ)のロケ地だよ!」(下写真)
貧乏神、疫病神、死神と二八そばを食べる場面だなどと思いましたが、きっとこの場所は色んな時代劇のロケに使われているんだろうと思われます。
観光案内所には、仲間由紀恵ちゃん、吉永小百合さん等々のロケ写真が貼られていました。
それも人気の理由のひとつかも知れません。
【滋賀県】
近江八幡(Map)
古い町並みと運河と水郷の里ではありましたが、憧れていた町はココではありませんでした……(全否定するものではありません。)
本当にのんびりしている町で、中心から外れたところでバスを降り歩き始めてみると人通りもまばらで「この閑散とした空気好き!」(それでも、ちゃんと角ごとに案内が設置されている)。この調子ならいい雰囲気の町かも!? だなんて甘いよね。有閑おばちゃんたちが放っておく訳がないもの……
メインの八幡堀を歩いていると、脇の食事処から湧いて出てきて仰天したのですが「ここずっと歩いてくと、いいとこあるんや」に、男衆が「じゃ歩こうか?」には「暑いし、歩かれへん」。ふぅー助かった、という所です。
人が集まるのは、人気スポットの八幡堀から半径200m程度の場所に集中しているようです。そんな歩く距離の短かさが、おばさん受けする決め手なのかも知れません。そして、平坦な場所であるということも重要な条件のひとつでしょう。
うまいもん食べて、船乗って、ロープーウエイ乗って(山の上は階段ですからよっぽどの物好き向けのオプション)、「歩かずにすむのが一番や!」って場所であります。
こっちにしてみればちょっと物足りない印象なのですが、おばちゃんたちにはちょうどいい腹ごなし(ドライブの距離─大阪・名古屋から)だったりするのかも知れません。
上下2枚の写真がメインスポット(同じ場所)で、周囲の景観にも気を配り、船の上に橋を渡してある場所です。
少し前に、これを河川管理法だったかに違反しているので撤去するとか何とか、という話題があり「無くなる前に行かなくちゃ」と思ったものですが「これが無くなったら客来ないよ!」の実感に「あれも宣伝だったのか?」と一瞬でも踊らされた自分がちょっと情けない気分にさせられるような場所でもあります。
しかしここが、テレビ・映画のロケ地のメッカであることを盛んにアピールしてますし、それも集客力になっているように思えます。
下は、白雲館という学校として設立された建物で、現在は観光案内所になっています。
これを建てた「ヴォリーズ」というアメリカ人の名前を、この町から切り離すことはできないようです。
英語教師・建築家・キリスト教の宣教師・慈善活動家・実業家という顔を持つ(1964年没)彼の足跡を残すために、現在の町並が残されていると言えるかも知れないほど、ここでは大切にされている人です(学校にも、バス停名にも残されていますし、まだまだあるのかも知れません)。
その名を知らなくても「メンソレータム」を知らない日本人はいないのではないか? と思える(関東だけか?)薬の輸入・製造を手がけた「近江兄弟社(近江と世界はみな兄弟の意味とのこと──宣教師らしい命名)」の設立者だそうです。
一度倒産したらしくそれ以来その商標名も使えなくなり、現在は「メンターム」という商品名での販売をしているそうです。
昔は、看護婦姿の少女の絵がとても可愛かったのですが、現在使われている少年の絵もセンスとしてはとても好感が持てると思います。──ガキのころ毎日のようにお世話になった印象があって、「メンソレータム」には信仰心のようなすり込みがあるようで、悪いことなど言えない気分があります。
この地域では「近江商人のまち」という自負をあちこちで目に、耳にします。「信用第一」「地域貢献」の精神が今でも受け継がれていると、言わんとしているようです。中でも「西川のムアツふとん」の創業地とされる地には、その立派な屋敷が残されています。
本当に申し訳ないのですが、最近古い屋敷を見る機会が多く少々食傷気味なので中はのぞきませんでした。
でも先ほどの船に橋を渡したスポットで食べたカレーライス(近江牛使用に引かれ)に、近江商人の片りんを感じました。
肉は「近江牛」、米は「近江米」、ルーの中には「丁字麩(ちょうじふ)」(名産だそうで、牛肉の味が染みこんでて美味しい。でも、カレーにお麩は初めてかも)、付け合わせに「赤コンニャク」(信長ゆかりだそうです)など、「近江ブランド」が確立されていて、それがちゃんと商品になっているところに、商売人の気合いを感じました。とても美味しかったです。
胸をはって人に勧められるようにと、地道な商品開発から生まれたであろう地元名産品の生産者、販売者の心意気というものが「近江商人の精神」の表れなんだろうと思いました。
地元にプライドを持った人たちが暮らす町って魅力を感じます。
その晩いい気になって近江牛の鉄板焼きを食しました。
美味しゅうございましたが「ここが近江牛の美味なところや!」という地元産の特別さは判別出来ませんでした(目隠しして分かる人いるのだろうか?)。
値段だけは確かに「地元産の特別さ(?)」でしょうか、とても高こうございました……
「あっ、ここきっと『憑神』(つきがみ)のロケ地だよ!」(下写真)
貧乏神、疫病神、死神と二八そばを食べる場面だなどと思いましたが、きっとこの場所は色んな時代劇のロケに使われているんだろうと思われます。
観光案内所には、仲間由紀恵ちゃん、吉永小百合さん等々のロケ写真が貼られていました。
それも人気の理由のひとつかも知れません。
2007年8月19日日曜日
この夏No.1の風景──余呉湖
2007.08.18
【滋賀県】
余呉(よご)湖(Map)
猛暑の中に涼を求められるところなどそうそう無いわけで、どうしたものかと考えました。
結果本日は、余呉湖を目指しました。
そのこころは「遠いところまで電車で涼んで、歩く距離を短くしよう」という作戦です。
琵琶湖北端にある賤ヶ岳(しずがたけ)をはさんだ反対側にある、周囲6.5km程度の小さな湖で、福井県との県境はもう目の前です。
駅を出ても何もないだろうことは想像してましたが、一面に広がる田んぼの風景はちょっと予想外でした。
周囲を山に囲まれる場所柄で、詳細な地図を見てなかったので「坂道が楽だといいなあ」とすら思っていましたから。
「いやぁー、美しい!」これを美しいと感じなくて、何をそう表現するのか? という風景でした。
田んぼと、湖と、山しかない風景です。日差しを避ける木陰もありません。日差しは強いのですが32度程度(大阪は37度とか)で、山からの風があるので倒れるほどではありません。
そんなことよりも重要なのは、チョロチョロと聞こえる水路からの水音(水の恵み)と、アッチッチの太陽の恵みのおかげで稲穂が育っているこの状況が、何よりも喜ばしいと思えることにあります。
自分が育てたわけでもなく、世話をしたわけでもないのですが、水と太陽の恵みでスクスクと育っていてくれることが、人ごと(?)ながらとても喜ばしいことに感じられました。
そんな実りが無ければ、収穫や、祭りという人間本意(?)の行事もあり得ないわけですから、それがどれだけ大切であるかを再確認させてくれたと同時に、それがどれほど人の心を和ませてくれるものか、思い知らされた気がしました。
農耕民族の血が流れる者の潜在的な記憶を呼び起こさせるとでも言うのか(農耕民族であると自覚せざるを得ないと言うのか)、この光景を美しいと感じてしまう自分は、そのアイデンティティ(源流)を忘れてはいけないと言うか、すり込まれているものを捨てたら何が残るのだろうか、と思わされた気がしました。
ちょうど18日夜中にこちらでは『冬冬(トントン)の夏休み』という台湾の映画(ホウ・シャオシェン監督)を放映するそうで、そんなイメージを想起させてくれる風景でもありました(これを書いてて何だか乗ってしまい、結局見てしまいました。終了が4時30分……)。
──冬冬とは小学生の男の子の名前で、妹(この子が可愛いの!)とひと夏を田舎のおじいちゃんの家で過ごす日々を描いた作品。
のんびりとした風景の中で突然爆竹の音が響いて驚かされましたが、鳥害予防用の道具のようです。
それでカラスやサギなどの鳥たちが飛び去っていきますから、農家にすれば原始的と言われようが有効な作物保護対策な訳で、ネットを張ったりする予防策に比べれば、鳥を傷つけずに作物を守る方法としては理にかなっていると思われます(彼らは田んぼの害虫など食べてくれますし)。
今でこそおだやかな景色を呈していますが、洪水に悩まされ琵琶湖までの流水路(トンネル)など何本もの水路が整備されたそうで、やはり人手が加わらなければこのような景色にはならないようです。だから「人里」なんでしょうね。
特急は通過してゆき(停車する普通電車は1時間に2本程度なので、特急の通過本数の方が多いのでは?)、この数キロ先の山の麓には高速道路も通っています。
──右の写真は雲を撮ろうとしたところに特急が飛び込んできたので、視線が列車に向いてしまいましたがそれが良かったようです。
こういった場所を慈しむことを大切にしたいと思いますが、普段の旅行で新幹線や高速道路を使う身としては「見きれないよ!」というのが正直なところです。
究極の贅沢(!)として歩いて回るという選択肢も考えられますが、それは無理だろうと思われるので今までのスタンスでいこうと思います。
それをどこまで「スロー」(贅沢)にできるか、というところでしょうか。
この付近は「賤ヶ岳古戦場」に含まれるそうで、本能寺で信長が亡くなった後、織田勢力同士の争いで秀吉と柴田勝家の戦いが繰りひろげられた地域のようです(調べました)。何だかNHK「その時歴史が動いた」の松平アナウンサーが現れそうな場所です。
今でこそ「こんな田舎で戦なんて」と思いますが、京の都に近い土地柄ですから(現在の新快速で1時間30分程度)目の上のたんこぶは叩かねばならない、戦略上重要な戦いだったことと思われます。
当時とすれば、まずは近畿・東海・北陸、それに西国(中国、四国、九州)、最後の仕上げに関東・東北という重みだったでしょうから、その時代の方が重要視されていた地域だったと思われますが、その分度重なる戦に踏み荒らされて迷惑を被った、とも言えるのかも知れません。
山の方から間断なく聞こえる笛の音のような音は何なのか、駅員さんに聞こうと思ってたのですが聞けずに電車に飛び乗ってしまいました。
日本最古の羽衣伝説が伝わるそうなので、関連の観光サービスかも知れませんが、すれ違った観光客は2組程度でした。
帰って調べたのですが、音の正体がどうも見つかりません。聞いときゃよかったと、後悔……
長浜(Map)
秀吉に縁の深い場所(長浜城は秀吉が最初に築いた城)ですから、何にでも「太閤」などの名称が付けられています。
その中の「聚楽第」なども秀吉縁なのでしょうが、どうも関東者(だけかしら?)は、モンローに扮した外人女性の「ジュラクよー」のTVCMが思い浮かんでしまい(すりこみですね)、いつも申し訳ないと思ってしまいます……
下は、秀吉井戸といわれる場所から琵琶湖を望んだものです。
旧長浜駅舎は日本最古の鉄道駅舎として保存されています。
時間が無かったので、長浜ではそんな程度しか見られませんでした、またの機会ということに。
今日の反省。
いくら電車で涼もうといっても(確かに涼しかった)、ちょっと遠すぎました──念願の琵琶湖一周はできたのですが……
長浜からの帰りは1時間半で、家に着いたらもう9時。タップリ遊んだってこと?
次に訪れたい近江八幡駅からは、そんな時間でも大勢観光客が乗ってきました。行く時には、ちと気合いを入れないといけませんね。
【滋賀県】
余呉(よご)湖(Map)
猛暑の中に涼を求められるところなどそうそう無いわけで、どうしたものかと考えました。
結果本日は、余呉湖を目指しました。
そのこころは「遠いところまで電車で涼んで、歩く距離を短くしよう」という作戦です。
琵琶湖北端にある賤ヶ岳(しずがたけ)をはさんだ反対側にある、周囲6.5km程度の小さな湖で、福井県との県境はもう目の前です。
駅を出ても何もないだろうことは想像してましたが、一面に広がる田んぼの風景はちょっと予想外でした。
周囲を山に囲まれる場所柄で、詳細な地図を見てなかったので「坂道が楽だといいなあ」とすら思っていましたから。
「いやぁー、美しい!」これを美しいと感じなくて、何をそう表現するのか? という風景でした。
田んぼと、湖と、山しかない風景です。日差しを避ける木陰もありません。日差しは強いのですが32度程度(大阪は37度とか)で、山からの風があるので倒れるほどではありません。
そんなことよりも重要なのは、チョロチョロと聞こえる水路からの水音(水の恵み)と、アッチッチの太陽の恵みのおかげで稲穂が育っているこの状況が、何よりも喜ばしいと思えることにあります。
自分が育てたわけでもなく、世話をしたわけでもないのですが、水と太陽の恵みでスクスクと育っていてくれることが、人ごと(?)ながらとても喜ばしいことに感じられました。
そんな実りが無ければ、収穫や、祭りという人間本意(?)の行事もあり得ないわけですから、それがどれだけ大切であるかを再確認させてくれたと同時に、それがどれほど人の心を和ませてくれるものか、思い知らされた気がしました。
農耕民族の血が流れる者の潜在的な記憶を呼び起こさせるとでも言うのか(農耕民族であると自覚せざるを得ないと言うのか)、この光景を美しいと感じてしまう自分は、そのアイデンティティ(源流)を忘れてはいけないと言うか、すり込まれているものを捨てたら何が残るのだろうか、と思わされた気がしました。
ちょうど18日夜中にこちらでは『冬冬(トントン)の夏休み』という台湾の映画(ホウ・シャオシェン監督)を放映するそうで、そんなイメージを想起させてくれる風景でもありました(これを書いてて何だか乗ってしまい、結局見てしまいました。終了が4時30分……)。
──冬冬とは小学生の男の子の名前で、妹(この子が可愛いの!)とひと夏を田舎のおじいちゃんの家で過ごす日々を描いた作品。
のんびりとした風景の中で突然爆竹の音が響いて驚かされましたが、鳥害予防用の道具のようです。
それでカラスやサギなどの鳥たちが飛び去っていきますから、農家にすれば原始的と言われようが有効な作物保護対策な訳で、ネットを張ったりする予防策に比べれば、鳥を傷つけずに作物を守る方法としては理にかなっていると思われます(彼らは田んぼの害虫など食べてくれますし)。
今でこそおだやかな景色を呈していますが、洪水に悩まされ琵琶湖までの流水路(トンネル)など何本もの水路が整備されたそうで、やはり人手が加わらなければこのような景色にはならないようです。だから「人里」なんでしょうね。
特急は通過してゆき(停車する普通電車は1時間に2本程度なので、特急の通過本数の方が多いのでは?)、この数キロ先の山の麓には高速道路も通っています。
──右の写真は雲を撮ろうとしたところに特急が飛び込んできたので、視線が列車に向いてしまいましたがそれが良かったようです。
こういった場所を慈しむことを大切にしたいと思いますが、普段の旅行で新幹線や高速道路を使う身としては「見きれないよ!」というのが正直なところです。
究極の贅沢(!)として歩いて回るという選択肢も考えられますが、それは無理だろうと思われるので今までのスタンスでいこうと思います。
それをどこまで「スロー」(贅沢)にできるか、というところでしょうか。
この付近は「賤ヶ岳古戦場」に含まれるそうで、本能寺で信長が亡くなった後、織田勢力同士の争いで秀吉と柴田勝家の戦いが繰りひろげられた地域のようです(調べました)。何だかNHK「その時歴史が動いた」の松平アナウンサーが現れそうな場所です。
今でこそ「こんな田舎で戦なんて」と思いますが、京の都に近い土地柄ですから(現在の新快速で1時間30分程度)目の上のたんこぶは叩かねばならない、戦略上重要な戦いだったことと思われます。
当時とすれば、まずは近畿・東海・北陸、それに西国(中国、四国、九州)、最後の仕上げに関東・東北という重みだったでしょうから、その時代の方が重要視されていた地域だったと思われますが、その分度重なる戦に踏み荒らされて迷惑を被った、とも言えるのかも知れません。
山の方から間断なく聞こえる笛の音のような音は何なのか、駅員さんに聞こうと思ってたのですが聞けずに電車に飛び乗ってしまいました。
日本最古の羽衣伝説が伝わるそうなので、関連の観光サービスかも知れませんが、すれ違った観光客は2組程度でした。
帰って調べたのですが、音の正体がどうも見つかりません。聞いときゃよかったと、後悔……
長浜(Map)
秀吉に縁の深い場所(長浜城は秀吉が最初に築いた城)ですから、何にでも「太閤」などの名称が付けられています。
その中の「聚楽第」なども秀吉縁なのでしょうが、どうも関東者(だけかしら?)は、モンローに扮した外人女性の「ジュラクよー」のTVCMが思い浮かんでしまい(すりこみですね)、いつも申し訳ないと思ってしまいます……
下は、秀吉井戸といわれる場所から琵琶湖を望んだものです。
旧長浜駅舎は日本最古の鉄道駅舎として保存されています。
時間が無かったので、長浜ではそんな程度しか見られませんでした、またの機会ということに。
今日の反省。
いくら電車で涼もうといっても(確かに涼しかった)、ちょっと遠すぎました──念願の琵琶湖一周はできたのですが……
長浜からの帰りは1時間半で、家に着いたらもう9時。タップリ遊んだってこと?
次に訪れたい近江八幡駅からは、そんな時間でも大勢観光客が乗ってきました。行く時には、ちと気合いを入れないといけませんね。
2007年6月23日土曜日
湖畔にも都が──石山寺、膳所
2007.06.23
【滋賀県】
石山寺(Map)
先週同様、雨が降ってもめげないように、雨が似合う花を探しているうちに、花の便りに誘われて滋賀県大津市まで引き寄せられてしまいました。
とは言え、京都から15分程度で行けるのですが。
先週に続き夏至翌日の本日も、どピーカンのアッチッチで、陽に当たりすぎて帰りにはちとバテ気味(熱中症の手前?)でした。
しかし、花の便りって解釈が難しいですね。
先週の三室戸寺が良かったので、「見頃」の表記から自分勝手な理想の絵を想像していました。
花しょうぶは、見頃の時季を伸ばすために意図的に少しずつ開花をずらしているように見受けられ、まだつぼみの株もあれば、今日開いたと思われる花もあるのですが、何とも中途半端な印象です。
アジサイも植えられてからあまり歴史がないように見え、まだインパクトを与えられる存在にはなっていませんでした(数では計れないという教訓です)。
どうもこの寺は、四季を通しての「花の寺」を目指しているようで、牡丹園などまだ日の浅い造園部分が目につきました。
でも、もみじなどの若葉はまぶしく、紅葉する木々は多くあるので、そのすき間を埋める花が整備されれば季節を通した名所になると思われます。
お寺は由緒あるようで(右上の写真など目にしたことあるのでは?)、紫式部が「源氏物語」を執筆したと伝わる部屋(本堂の一部)があったり、「月見亭」という展望舞台には明治以降の天皇が月見に訪れたとのこと(展望は開けてません。月が見えればいいわけですから)。
西国巡礼13番札所とのことで、三室戸寺とは一応関係があるようです。
東寺 真言宗の宗派とあります。東寺は京都で行ってみたいお寺の一つで、もうじき行けることを楽しみにしています。
瀬田の唐橋(Map)
都を守る上での要所であったことから「唐橋を制する者は天下を制す」と言われたそうです。
看板には、大友皇子とか出てくるのでかなり昔のことのようですが、どうもその説明にピンと来なかったので調べてみました。その頃の都は、近江宮(おうみのみや)と言って7世紀後半の天智天皇がこの地に開いたのだそうです。うーん、聞いたことあるような、無いような……
琵琶湖レガッタの会場が近いこともあり、この付近はボートやカヤックの練習場になっています。「がんばっていきまっしょい」(TV)に出てました。
堤防を自転車でダッシュしてきたジャージ姿の若い女性が、急停車してビデオカメラを構えるのには驚きました。きっと、ボート部のマネージャーなのでしょう。そんな、ビデオを手にした若い女性が多いのも、場所柄という印象です。ちなみに、女子部は見かけませんでした……
ここは琵琶湖の尻尾と勝手に呼んでいる南の端で、この瀬田川は京都で宇治川になります。
琵琶湖の水はどこから流れ出ているのかズッと気になっていたのですが、ようやっとスッキリしました。
──次は、京都に流れている琵琶湖疏水はどこから引かれているのか? を探さねば……
膳所城跡(Map)
膳所と書いて「ぜぜ」と読みます。
ワープロで変換してくれることに驚きましたが、これ読めます? 本当、こちらにはとても読めないような地名が数多くあります。歴史の長さというのか、宮中などごく狭い世界で使われていた言葉というのか、漢字の読み方のいい加減さというのか、とても覚えられない地名がたくさんあります。それを覚えておくと知識の幅が広がるかも? と、なるべく心がけるようにしていますが、なかなか……
先ほどの近江宮の時代でしょうか、天皇の食事の調理や試食をつかさどった役所があったことに由来するそうです。
ここに都があったことと、お膳の役所(食材管理役)というくらいの説明を聞かないとイメージすらわきません。それでも、読めないと思いますが……
ここ膳所城は湖畔に面しており、実にいい立地だと思っていたのですが、湖からの波の影響で何度も崩落〜修復が繰り返され、そのおかげで財政は苦しかったとのこと。そんなもん、ちゃんと設計せい! とも思うのですが、それは上からの圧力というよりも、そのたたずまいが人々から求められていたから、などと思いたい気分になっていました。
写真は公園脇の入り江にあるアシの若い葉です。
琵琶湖での目標として、北部の湖岸に残る葦原地帯とその付近の集落を歩いてみたいと考えており、ここでそんな気持ちに弾みがついた思いです。
近江大橋(Map)
近江大橋の西岸に植えられた木々ですが、ほんの一角だけなのが印象的でした。
今でも有料道路だそうです。建設されたのが1974年だとすればいた仕方ない気もします。現在においては日常に必要な生活道路になっていると思われるのですが、平成24年まで有料だそうです。
琵琶湖は大きいので、そのうち車を借りて一周しようと思っているのですが、どこの都市部でも渋滞を見かけるのでちょっと躊躇します(橋が有料のせいではないと思われますが、観光にも結構人が出ていると思われます)。
東京以外の鉄道網が整備されていない地方都市は、もう完全に車社会ですから中核都市では逃げ場のない渋滞が日常となっています。
東京では空気の汚れを(これ強く感じているので、またの機会に書きます)、旅行先などの地方都市部では渋滞緩和の道路整備を何とかしないと、それだけでエネルギーを余計に消費してしまうと思います。
資本主義とは、大小様々な中心地への集中を避けられない宿命なのだろうか?
そこを何とか工夫しないと「浪費型社会」(お金を含めて)は改善されないと思うし、東京と地方の共存は不可能と思えるのですが、いかがでしょうか?
琵琶湖周遊船桟橋(Map)
ここは、大津プリンスホテルの前に設置された桟橋で、先日行った竹生島や琵琶湖周遊の観光船が出ています。
──38階建てのホテルです。最上階まで行き展望台が無いので降りてきました。そこにはホテルらしく、ラウンジとレストランしか無く、出迎えてくれても「客じゃねえな」といちべつされました。景色がいいからビールくらい飲んでもいいかとも思いましたが、ウエイターの目にサービス精神が感じられないのでやめました……(とても冷たい目だったのよ!)
とても外人が多く、京都〜琵琶湖ツアーがセットになっているのだろうか、という印象です。
遠くから見ると、何であんなに高い建物を作っちゃったかと思うのですが、懐に入ってみると自治体の尽力もあって一帯がきちんと整備されていて、いいリゾート地の雰囲気になっていました。
やはり釣りに訪れる人は多く、腰まで水に入って竿を投げている人もいました。湖の水は冷たいだろうに……
近くの港に「外来魚リリース禁止」の旗が立ってましたが、ブラックバスなどの問題は結構深刻なのだと思われます。でも、外来魚だけ駆逐するって大変なことだと思うのですが、どうしているのだろうか? 湖という閉鎖空間では、そこに棲む種にとって闖入(ちんにゅう)者の存在は死活問題になると思われます。
昨日の新聞だったか、ウォーターバイクで湖水をかくはんするとアオコが発生しにくいなどの記事が出ていました。確かにそうなのかも知れませんが、もっと根本的な対策を考えるべきではないでしょうか?
【滋賀県】
石山寺(Map)
先週同様、雨が降ってもめげないように、雨が似合う花を探しているうちに、花の便りに誘われて滋賀県大津市まで引き寄せられてしまいました。
とは言え、京都から15分程度で行けるのですが。
先週に続き夏至翌日の本日も、どピーカンのアッチッチで、陽に当たりすぎて帰りにはちとバテ気味(熱中症の手前?)でした。
しかし、花の便りって解釈が難しいですね。
先週の三室戸寺が良かったので、「見頃」の表記から自分勝手な理想の絵を想像していました。
花しょうぶは、見頃の時季を伸ばすために意図的に少しずつ開花をずらしているように見受けられ、まだつぼみの株もあれば、今日開いたと思われる花もあるのですが、何とも中途半端な印象です。
アジサイも植えられてからあまり歴史がないように見え、まだインパクトを与えられる存在にはなっていませんでした(数では計れないという教訓です)。
どうもこの寺は、四季を通しての「花の寺」を目指しているようで、牡丹園などまだ日の浅い造園部分が目につきました。
でも、もみじなどの若葉はまぶしく、紅葉する木々は多くあるので、そのすき間を埋める花が整備されれば季節を通した名所になると思われます。
お寺は由緒あるようで(右上の写真など目にしたことあるのでは?)、紫式部が「源氏物語」を執筆したと伝わる部屋(本堂の一部)があったり、「月見亭」という展望舞台には明治以降の天皇が月見に訪れたとのこと(展望は開けてません。月が見えればいいわけですから)。
西国巡礼13番札所とのことで、三室戸寺とは一応関係があるようです。
東寺 真言宗の宗派とあります。東寺は京都で行ってみたいお寺の一つで、もうじき行けることを楽しみにしています。
瀬田の唐橋(Map)
都を守る上での要所であったことから「唐橋を制する者は天下を制す」と言われたそうです。
看板には、大友皇子とか出てくるのでかなり昔のことのようですが、どうもその説明にピンと来なかったので調べてみました。その頃の都は、近江宮(おうみのみや)と言って7世紀後半の天智天皇がこの地に開いたのだそうです。うーん、聞いたことあるような、無いような……
琵琶湖レガッタの会場が近いこともあり、この付近はボートやカヤックの練習場になっています。「がんばっていきまっしょい」(TV)に出てました。
堤防を自転車でダッシュしてきたジャージ姿の若い女性が、急停車してビデオカメラを構えるのには驚きました。きっと、ボート部のマネージャーなのでしょう。そんな、ビデオを手にした若い女性が多いのも、場所柄という印象です。ちなみに、女子部は見かけませんでした……
ここは琵琶湖の尻尾と勝手に呼んでいる南の端で、この瀬田川は京都で宇治川になります。
琵琶湖の水はどこから流れ出ているのかズッと気になっていたのですが、ようやっとスッキリしました。
──次は、京都に流れている琵琶湖疏水はどこから引かれているのか? を探さねば……
膳所城跡(Map)
膳所と書いて「ぜぜ」と読みます。
ワープロで変換してくれることに驚きましたが、これ読めます? 本当、こちらにはとても読めないような地名が数多くあります。歴史の長さというのか、宮中などごく狭い世界で使われていた言葉というのか、漢字の読み方のいい加減さというのか、とても覚えられない地名がたくさんあります。それを覚えておくと知識の幅が広がるかも? と、なるべく心がけるようにしていますが、なかなか……
先ほどの近江宮の時代でしょうか、天皇の食事の調理や試食をつかさどった役所があったことに由来するそうです。
ここに都があったことと、お膳の役所(食材管理役)というくらいの説明を聞かないとイメージすらわきません。それでも、読めないと思いますが……
ここ膳所城は湖畔に面しており、実にいい立地だと思っていたのですが、湖からの波の影響で何度も崩落〜修復が繰り返され、そのおかげで財政は苦しかったとのこと。そんなもん、ちゃんと設計せい! とも思うのですが、それは上からの圧力というよりも、そのたたずまいが人々から求められていたから、などと思いたい気分になっていました。
写真は公園脇の入り江にあるアシの若い葉です。
琵琶湖での目標として、北部の湖岸に残る葦原地帯とその付近の集落を歩いてみたいと考えており、ここでそんな気持ちに弾みがついた思いです。
近江大橋(Map)
近江大橋の西岸に植えられた木々ですが、ほんの一角だけなのが印象的でした。
今でも有料道路だそうです。建設されたのが1974年だとすればいた仕方ない気もします。現在においては日常に必要な生活道路になっていると思われるのですが、平成24年まで有料だそうです。
琵琶湖は大きいので、そのうち車を借りて一周しようと思っているのですが、どこの都市部でも渋滞を見かけるのでちょっと躊躇します(橋が有料のせいではないと思われますが、観光にも結構人が出ていると思われます)。
東京以外の鉄道網が整備されていない地方都市は、もう完全に車社会ですから中核都市では逃げ場のない渋滞が日常となっています。
東京では空気の汚れを(これ強く感じているので、またの機会に書きます)、旅行先などの地方都市部では渋滞緩和の道路整備を何とかしないと、それだけでエネルギーを余計に消費してしまうと思います。
資本主義とは、大小様々な中心地への集中を避けられない宿命なのだろうか?
そこを何とか工夫しないと「浪費型社会」(お金を含めて)は改善されないと思うし、東京と地方の共存は不可能と思えるのですが、いかがでしょうか?
琵琶湖周遊船桟橋(Map)
ここは、大津プリンスホテルの前に設置された桟橋で、先日行った竹生島や琵琶湖周遊の観光船が出ています。
──38階建てのホテルです。最上階まで行き展望台が無いので降りてきました。そこにはホテルらしく、ラウンジとレストランしか無く、出迎えてくれても「客じゃねえな」といちべつされました。景色がいいからビールくらい飲んでもいいかとも思いましたが、ウエイターの目にサービス精神が感じられないのでやめました……(とても冷たい目だったのよ!)
とても外人が多く、京都〜琵琶湖ツアーがセットになっているのだろうか、という印象です。
遠くから見ると、何であんなに高い建物を作っちゃったかと思うのですが、懐に入ってみると自治体の尽力もあって一帯がきちんと整備されていて、いいリゾート地の雰囲気になっていました。
やはり釣りに訪れる人は多く、腰まで水に入って竿を投げている人もいました。湖の水は冷たいだろうに……
近くの港に「外来魚リリース禁止」の旗が立ってましたが、ブラックバスなどの問題は結構深刻なのだと思われます。でも、外来魚だけ駆逐するって大変なことだと思うのですが、どうしているのだろうか? 湖という閉鎖空間では、そこに棲む種にとって闖入(ちんにゅう)者の存在は死活問題になると思われます。
昨日の新聞だったか、ウォーターバイクで湖水をかくはんするとアオコが発生しにくいなどの記事が出ていました。確かにそうなのかも知れませんが、もっと根本的な対策を考えるべきではないでしょうか?
2007年5月10日木曜日
湖西線、竹生島(琵琶湖)
──途中下車のつもりが終着駅に
2007.05.04
湖西線(Map)
関東にいた頃、この湖西線という響きにとても旅情をそそられていて、いつか乗ってみたいと思っていました。
新幹線で通過する同じ琵琶湖岸の米原などとは別世界の、それもはるか彼方(時間も空間も)の存在という勝手なイメージを抱いていました。
字面そのままの、琵琶湖の西岸を走る山科から近江塩津までの路線なんですけどね。
琵琶湖大橋付近の堅田までは宅地化が進んでいますが、それより北側には、ちょうど田植えの準備で水がはられた田んぼの並ぶ田園風景が広がります。
西岸は山が迫っているので平坦地は広くないのですが、京都から40分程度で出会えるとてものんびりできる風景です。
さすがにデッカイなあ。場所によっちゃ、瀬戸内海より広いんじゃないの?(言ってみたかったんです!)
地図で比べると、淡路島がスッポリ入ってまだあまるくらいの広さです。
海じゃないので、湖岸に堤防がないところがいいですね。自然のままの姿が残っている水辺って危ない面もありますが、コンクリが目に入らないのでより開放感があり、とても好きな絵です。
旅行から戻り、残った休みの琵琶湖行きだけ決めていて、計画の無いぶらり散歩となりました。
ここは、近江今津。電車が切り離されることを理由に途中下車しました。
古い家並みも残っていて、とても静かで落ち着いた町です。浜通りを歩いていると、家々の間から琵琶湖の水面がチラチラと見え隠れする風情が実に楽しく、湖に抜ける路地はまだかと家並みの切れ目を探してしまいます。
人通りは少ないのに、和菓子やだったか漬物やだったかには、人が入っていて驚きました(車で来ているのでしょう、幹線道路は混んでいましたから)。
店先でパタパタとうなぎを焼いてる店があって、デモンストレーションだったとしても最高の雰囲気を出していました(失礼、本当のお店です)。
湖に浮かぶ島に渡る船がここから出ており、別に予定決めてないしと思わず乗り込んでしまいました。
途中下車のつもりが、その竹生島(ちくぶしま)が本日の最終目的地となりました。
竹生島(ちくぶしま)(Map)
古くから信仰の対象となってきた島だそうで、お寺と神社があります。
知らなかったのですが、ここの弁天様は、江ノ島神社、厳島神社(宮島)と並ぶ日本三大弁才天のひとつなのだそうです。
これでわたしは、三ヶ所とも行ったことになるのですが、思いがけずちょっとうれしかったりします……(それが信者獲得のセオリーなのでしょう)
724年建立といいますから、平安京(京都)よりも古い歴史を持っています。
宝巌寺の舟廊下(写真上)は、秀吉が朝鮮出兵時に使用した日本丸という船の廃材で作られたそうです。
この島への航路は4本くらいあり、四方から結構な人が来ているのに驚きました。お寺と神社以外には何も無い島ですから、その知名度は相当なものかと思われます。
途中下車のつもりが終着駅になってしまったので、次回はその先を見て、湖を一周して東側から帰って来ます。
湖西線(Map)
関東にいた頃、この湖西線という響きにとても旅情をそそられていて、いつか乗ってみたいと思っていました。
新幹線で通過する同じ琵琶湖岸の米原などとは別世界の、それもはるか彼方(時間も空間も)の存在という勝手なイメージを抱いていました。
字面そのままの、琵琶湖の西岸を走る山科から近江塩津までの路線なんですけどね。
琵琶湖大橋付近の堅田までは宅地化が進んでいますが、それより北側には、ちょうど田植えの準備で水がはられた田んぼの並ぶ田園風景が広がります。
西岸は山が迫っているので平坦地は広くないのですが、京都から40分程度で出会えるとてものんびりできる風景です。
さすがにデッカイなあ。場所によっちゃ、瀬戸内海より広いんじゃないの?(言ってみたかったんです!)
地図で比べると、淡路島がスッポリ入ってまだあまるくらいの広さです。
海じゃないので、湖岸に堤防がないところがいいですね。自然のままの姿が残っている水辺って危ない面もありますが、コンクリが目に入らないのでより開放感があり、とても好きな絵です。
旅行から戻り、残った休みの琵琶湖行きだけ決めていて、計画の無いぶらり散歩となりました。
ここは、近江今津。電車が切り離されることを理由に途中下車しました。
古い家並みも残っていて、とても静かで落ち着いた町です。浜通りを歩いていると、家々の間から琵琶湖の水面がチラチラと見え隠れする風情が実に楽しく、湖に抜ける路地はまだかと家並みの切れ目を探してしまいます。
人通りは少ないのに、和菓子やだったか漬物やだったかには、人が入っていて驚きました(車で来ているのでしょう、幹線道路は混んでいましたから)。
店先でパタパタとうなぎを焼いてる店があって、デモンストレーションだったとしても最高の雰囲気を出していました(失礼、本当のお店です)。
湖に浮かぶ島に渡る船がここから出ており、別に予定決めてないしと思わず乗り込んでしまいました。
途中下車のつもりが、その竹生島(ちくぶしま)が本日の最終目的地となりました。
竹生島(ちくぶしま)(Map)
古くから信仰の対象となってきた島だそうで、お寺と神社があります。
知らなかったのですが、ここの弁天様は、江ノ島神社、厳島神社(宮島)と並ぶ日本三大弁才天のひとつなのだそうです。
これでわたしは、三ヶ所とも行ったことになるのですが、思いがけずちょっとうれしかったりします……(それが信者獲得のセオリーなのでしょう)
724年建立といいますから、平安京(京都)よりも古い歴史を持っています。
宝巌寺の舟廊下(写真上)は、秀吉が朝鮮出兵時に使用した日本丸という船の廃材で作られたそうです。
この島への航路は4本くらいあり、四方から結構な人が来ているのに驚きました。お寺と神社以外には何も無い島ですから、その知名度は相当なものかと思われます。
途中下車のつもりが終着駅になってしまったので、次回はその先を見て、湖を一周して東側から帰って来ます。
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