2007年9月23日日曜日

信長が愛した風土
 ──沖島、五個荘、安土城跡、西の湖

2007.09.23
【滋賀県】

 沖島(Map)


 近江八幡沖の琵琶湖に浮かぶ島で、湖の島に人が暮らす例は世界的にも珍しいのだそうです。確かに日本でも他に思い浮かびませんし……
 これは島にある小学校で、18年度の資料では児童数7名だそうです。それにしちゃ立派な校舎ですが、島民の寄付で建設されたとのことです。
 外壁には装飾もされていてログハウス風のしゃれた印象を受けます(新しいと思います)。
 休日で島に帰っている家族も多かったのかも知れませんが、見かけた子どもの数はとてもそんなものではなく、若い家族を呼び戻そうとする奨励策などがあるのかも知れません。


 これは、港の入り口の堤防に立てられた吹き流しです。
 子どもの名前が書き込まれていて、鯉のぼりと同じく子どもの成長への祈りが込められているようです。
 島には他にも同様の吹き流しが立てられており、島民の思いを知ることができます。
 交通手段は30人乗り程度の連絡船しかなく、島には車が走れるような道路もありません。そんな島にも、デッカイ(100人以上乗れるであろう)琵琶湖周遊クルーズ船が立ち寄ったりします(プリンスホテル系が入り、琵琶湖観光を少し高級なリゾート化しているようです。路線バスにも懐かしい西武系のラインが入っていたりします)。
 港で手作りの物産品を並べているおばちゃんたちがいます。最初はそんなに売れる程人が来るのか? と思いましたが、大きな観光船の客を待っていたようです。
 数多く立てられた吹き流しは、子どものころの島の思い出を少しでも多く作ってあげることで、将来ひとりでも多くの若者たちが島に戻ってきてもらいたいとの願いなのだと思います(瀬戸内の北木島でも同様の印象を受けました)。
 

 島とはいえここは湖に浮かんでいるので、大きな水害などの心配はいらないのかも知れませんが、水辺の施設に対する用心の無さには「水域をなめている」としか思えない場所が目につきました。
 ここは民宿の専用桟橋のようなのですが、こんないい加減な作りでいいのだろうか? と思ったものの(海じゃないんだし)「壊れたらまた直せばいい」というような手作り感覚が受けたりするのかも、とも……
 そんな田舎感覚を売りにした方が、いまどきは人気がでるのかも知れません。


 五個荘(ごかしょう)(Map)


 ちょうど地区をあげたイベントをやっていて交通整理も出ており、その人出に驚きました。
 時代絵巻パレードをやっていたようで、様々な時代の扮装をした人たちが古い家並みをバックにして写真モデルをせがまれていました。
 町並みを流れる水路を盆にした(?)生け花が飾られています。この水路は以前、家々の生活用水として外壁の内側に引き込まれ利用されていたものなので(今でもその水場は見ることができます)、そこに花を生けるということは暮らしの中から生まれた表現として受け止めることが出来るので、その意図にはとても理解できるものがあります。
 ここも探している場所に非常に近い文化を持っているのですが「ちょっと違いうなぁ」の印象です。
 テレビで見たのは琵琶湖周辺じゃなかったのかなぁ? と自信を失いつつありますが、もう少し探してみます…… そして、見つけたら紹介しますので、お楽しみに。


 安土城跡(Map)

 信長が築城した「キンキラキン」のイメージがある安土城跡です。
 勝手なイメージなのですが、そんな信長が城を築いたのですから結構高い山なのかと思いきや、周辺の山に比べると小高い丘程度の山なので少し戸惑いました。
 この場所に思い入れがあったのか、はたまた天下統一の後には城下町の整備が重要と考えたのか、街道と水路の利便性はいいので商業地には適していたかも知れませんが、敵から身を守るために適した場所だったのだろうか? という印象を受けました。
 安土山から見る琵琶湖の手前には、後の時代に秀吉の甥が築城した八幡山(前日の八幡堀からロープウエーで昇る山)がそびえており、見晴らしを遮っていたと思われるのですが……
 でも、昔は安土山裾野に広がる西の湖周辺も葦原で、琵琶湖の一部として見られていたのかも知れません。
 安土城の天守を模した建物の考古博物館です。
 入りませんでしたが、この「兜をかぶったような異形の天守閣」を外から眺めるだけで、信長と接することができたような気持ちになれました。
 教会のようにも見える姿に、この建物の設計者の信長への思いが込められているようにも思えます。
 特に信長に関心を持つ者ではないので、そんな感想しか持ち得ないのですが、山を背負った田んぼの中に建てられているそのロケーションがとても印象に残っています。
 これを作った人たちの信長への気持ちと、安土という土地への愛着が感じられた気がしました。





 西の湖(Map)


 琵琶湖の西岸(湖西線が通る側)は、比叡山をはじめとする急峻な山が湖岸近くまで迫っており、平坦な土地はあまりないのですが、東側には以前は葦原の湿地帯であった場所を干拓したと思われる水田地帯が広がっていて、なかなか壮観な景色です。
 そんな干拓事業から生き残ったのか、取り残されたのか、まとまった水域と周囲の湿地帯が残されているのが西の湖一帯です。
 ここにひとつの憧れであった「葦原が広がる湿地帯」があったのですが、現地に立ってみれば漁師のような支度がなければその中を歩き回ることはできないんですよね。こちらのイメージ作りが甘すぎた事を反省しています。
 やはり少し通って、季節感をつかまないとイメージが出来てこない場所なのだと思いました(以前、琵琶湖の烏丸半島がハスの花の名所と聞きましたが、行けば写真を撮れるものでもないと思い、来年以降のために少し研究してからとの思いと同じ印象です)。
 関東ではよく行った鎌倉くらい通って、季節感のイメージが出来るくらいにならないと、どこを歩いたらいいかを想像できないのだと思います。
 でもやっぱり「葦原の絵」を撮ってみたいなぁー。

 湿地のとなりには水田が広がっており、刈り取りが終わった田を焼いていたりします。
 こういう絵に見入ってしまう都会っ子って、まさしくStrangerなのだと思います……

人気の秘密とは?──近江八幡

2007.09.22
【滋賀県】

 近江八幡(Map)


 古い町並みと運河と水郷の里ではありましたが、憧れていた町はココではありませんでした……(全否定するものではありません。)
 本当にのんびりしている町で、中心から外れたところでバスを降り歩き始めてみると人通りもまばらで「この閑散とした空気好き!」(それでも、ちゃんと角ごとに案内が設置されている)。この調子ならいい雰囲気の町かも!? だなんて甘いよね。有閑おばちゃんたちが放っておく訳がないもの……
 メインの八幡堀を歩いていると、脇の食事処から湧いて出てきて仰天したのですが「ここずっと歩いてくと、いいとこあるんや」に、男衆が「じゃ歩こうか?」には「暑いし、歩かれへん」。ふぅー助かった、という所です。
 人が集まるのは、人気スポットの八幡堀から半径200m程度の場所に集中しているようです。そんな歩く距離の短かさが、おばさん受けする決め手なのかも知れません。そして、平坦な場所であるということも重要な条件のひとつでしょう。
 うまいもん食べて、船乗って、ロープーウエイ乗って(山の上は階段ですからよっぽどの物好き向けのオプション)、「歩かずにすむのが一番や!」って場所であります。
 こっちにしてみればちょっと物足りない印象なのですが、おばちゃんたちにはちょうどいい腹ごなし(ドライブの距離─大阪・名古屋から)だったりするのかも知れません。
 上下2枚の写真がメインスポット(同じ場所)で、周囲の景観にも気を配り、船の上に橋を渡してある場所です。
 少し前に、これを河川管理法だったかに違反しているので撤去するとか何とか、という話題があり「無くなる前に行かなくちゃ」と思ったものですが「これが無くなったら客来ないよ!」の実感に「あれも宣伝だったのか?」と一瞬でも踊らされた自分がちょっと情けない気分にさせられるような場所でもあります。
 しかしここが、テレビ・映画のロケ地のメッカであることを盛んにアピールしてますし、それも集客力になっているように思えます。


 下は、白雲館という学校として設立された建物で、現在は観光案内所になっています。
 これを建てた「ヴォリーズ」というアメリカ人の名前を、この町から切り離すことはできないようです。
 英語教師・建築家・キリスト教の宣教師・慈善活動家・実業家という顔を持つ(1964年没)彼の足跡を残すために、現在の町並が残されていると言えるかも知れないほど、ここでは大切にされている人です(学校にも、バス停名にも残されていますし、まだまだあるのかも知れません)。


 その名を知らなくても「メンソレータム」を知らない日本人はいないのではないか? と思える(関東だけか?)薬の輸入・製造を手がけた「近江兄弟社(近江と世界はみな兄弟の意味とのこと──宣教師らしい命名)」の設立者だそうです。
 一度倒産したらしくそれ以来その商標名も使えなくなり、現在は「メンターム」という商品名での販売をしているそうです。
 昔は、看護婦姿の少女の絵がとても可愛かったのですが、現在使われている少年の絵もセンスとしてはとても好感が持てると思います。──ガキのころ毎日のようにお世話になった印象があって、「メンソレータム」には信仰心のようなすり込みがあるようで、悪いことなど言えない気分があります。


 この地域では「近江商人のまち」という自負をあちこちで目に、耳にします。「信用第一」「地域貢献」の精神が今でも受け継がれていると、言わんとしているようです。中でも「西川のムアツふとん」の創業地とされる地には、その立派な屋敷が残されています。
 本当に申し訳ないのですが、最近古い屋敷を見る機会が多く少々食傷気味なので中はのぞきませんでした。
 でも先ほどの船に橋を渡したスポットで食べたカレーライス(近江牛使用に引かれ)に、近江商人の片りんを感じました。
 肉は「近江牛」、米は「近江米」、ルーの中には「丁字麩(ちょうじふ)」(名産だそうで、牛肉の味が染みこんでて美味しい。でも、カレーにお麩は初めてかも)、付け合わせに「赤コンニャク」(信長ゆかりだそうです)など、「近江ブランド」が確立されていて、それがちゃんと商品になっているところに、商売人の気合いを感じました。とても美味しかったです。
 胸をはって人に勧められるようにと、地道な商品開発から生まれたであろう地元名産品の生産者、販売者の心意気というものが「近江商人の精神」の表れなんだろうと思いました。
 地元にプライドを持った人たちが暮らす町って魅力を感じます。

 その晩いい気になって近江牛の鉄板焼きを食しました。
 美味しゅうございましたが「ここが近江牛の美味なところや!」という地元産の特別さは判別出来ませんでした(目隠しして分かる人いるのだろうか?)。
 値段だけは確かに「地元産の特別さ(?)」でしょうか、とても高こうございました……


 「あっ、ここきっと『憑神』(つきがみ)のロケ地だよ!」(下写真)
 貧乏神、疫病神、死神と二八そばを食べる場面だなどと思いましたが、きっとこの場所は色んな時代劇のロケに使われているんだろうと思われます。
 観光案内所には、仲間由紀恵ちゃん、吉永小百合さん等々のロケ写真が貼られていました。
 それも人気の理由のひとつかも知れません。